
援助であることを理解していただきたいのだ。
確かに社会教育、特に青年教育の現場は人知れず苦労が多い。とことん青年に付き合おうとすれば、自分の生活との板挟みに悩むことも多々ある。それだけ難しい、という意味ではなく、逆にすごい仕事なのだと思う。将来に可能性のある青年というキャストが、地域というフィールドで生き生きと活躍する条件をつくる、いわば舞台監督だ。
これまでもそんな意識を持っでがんばっている職員の方々にお会いして、多くの示唆と感動を得たことも多い。だから、教員から青年の家の職員になると給与面で格差がつくことが多いという辛い話は、率直に言って驚いた。青年教育の現場にいる職員の方々にもっと誇りと自覚を持っていただきたい立場からすれば、社会教育職員の役割と地位を政策としてもっと向上させる必要があることを強く要求したい。
このことは、職員にはさまざまなプログラムに対応できる専門性を期待したいという意味からも、重視されなければならない。すべてを職員だけでまかなうことに無理があるなら、地域の各種専門家との連携、派遣のシステムを用意してみよう。青年の家が対応できる範囲がぐっと広がるし、地域への密着度も高まるに違いない。
青年の家が文字通り「青年」のために存在するには、青年を集めて訓練するという発想から解放される必要がある。青年に自らを提供する、青年に自らが飛び込んでいく、そんな姿勢が欠かせない。いま、青年の家が変わろうとしている。青年のみならず、地域の活動拠点として機能するよう、自己改革されることを心から応援したい。
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